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日曜日, 1月 17, 2021

【ネタバレあり】『The Last of Us Part 2』に向けられた批判は妥当か? “不快さと誠実さ”併せ持つ問題作について考える(リアルサウンド)

 『The Last of Us Part 2』は極めて誠実なゲームである。

 7年前、プレイヤーの感性にその結末の是非を委ねた前作『The Last of Us』の物語に対しても、あるいはポリティカル・コレクトネスを取り巻く議論がエンターテイメントを支配する現代に対しても、そして「ゲーム」というメディアに対しても、本作を作り上げたNaughty Dogは、誠実に向き合っている。その結果、娯楽作品であるゲームがプレイヤーに牙を剥くことになったとしても、前作がまだ語っていないことを、明らかにする必要があったからだ。

※本記事は、『The Last of Us Part 2』の終盤を除く重要な要素、及び前作のエンディングについてのネタバレを多く含みます。本作を既にクリアしている人々、あるいは本作を巡る批判意見を目にして作品を手に取ることを止めた人々、あるいはゲームの途中でプレイを止めた人々に向けた文章となっておりますので、未プレイの方はご注意下さい。

前編の「不都合な疑問」と正面から向き合う「Part 2」

 前作は、人類に異常を与えるウイルスがパンデミックを引き起こし、正気を失い凶暴化した感染者が蔓延する世界を舞台に、唯一、菌に対する抗体を持った14歳の少女・エリーと、エリーを使ってワクチンを作るため、医者が待つ病院までエリーを安全に連れて行く任務を受けた中年男性・ジョエルによる旅を描いた作品である。

 かつて一度、実の娘を失ったジョエルは、そのエンディングにおいて、ワクチンを作るためにはエリーが犠牲となる必要があることを知り、人類の安全と、それに貢献しようとする人々と引き換えにエリーを守ることを選んだ。病院にいる人々を殺し、依頼主を殺し、麻酔で意識を失ったエリーを連れて帰路に着いた。

 目の前の一人を犠牲にして大勢を救うか、一人を救って大勢を犠牲にするか。前作のエンディングはいわゆる“トロッコ問題”に例えられることが多い。目の前の一人に対して感情移入すればするほど、この問題は回答者を悩ませる。何故なら一人の人間が他の人々に与える視点は決して平等ではないからだ。故に、前作のエンディングは様々な議論を招いた。しかし、発売から7年が経ち、前作はゲーム史に残る聖典として確固たる地位を築いた。

 さて、ジョエルの視点では、エリーよりも重要な人物などいない。だからこそ、他の全ての人々を犠牲にしてジョエルはエリーを選んだ。

 では、視点を変えてみる。このエンディングの光景の中には「目の前の一人を犠牲にして、大勢を救う」選択肢を選んだ人物がいたはずである。恐らく、その選択肢を目の前にして、本人は大いに迷ったであろう。そして、迷いの果てに決断したその人物は、結局目的を果たすことなく、無残にも殺されてしまう。トロッコ問題の裏側だ。それはただのジョエルとエリーの二人のドラマティックな物語の影に隠された静かな悲劇として、本当に終わってくれるのだろうか?

 そもそも、「自分の大切な人々はみんないなくなるか、目の前で死んでしまう」と嘆いていたエリー自身が、果たしてこの結末を望んでいたのだろうか? 「エリー以外にも抗体を持つ人々がいた」という前作のラストでジョエルがついた幼稚な嘘を、本心から信じていたのだろうか?

 多くのプレイヤーが無視したこの「不都合な疑問」に対して、開発元のNaughty Dogは『The Last of Us Part 2』で正面から向き合う。それは即ち、前作をプレイした人々に対しても、その疑問と向き合うことを強いる事を意味する。

 ゲームの最序盤、前作のエンディングの回想と“現代ゲーム最高峰”と断言できる圧倒的なグラフィックに浸るのも束の間、エリー、そしてプレイヤーの目の前で、アビーという新たな登場人物を中心とした謎の集団によって、ジョエルが惨殺される。これが、前作における「不都合な疑問」に対する一つの回答で、その復讐のために「Part 2」が幕を開ける。ジョエルに対して復讐を果たしたアビーに対して、今度はエリーが復讐を誓う。この「憎しみの連鎖」が本作のテーマの一つとなる。

 しかし、本作は決してそのようなシンプルなゲームではない。

・あなたは自分が最も憎んでいるキャラクターに感情移入することができるか?
 発売前に世界中のメディアで解禁された本作のレビューにおいて、Naughty Dogはプレイヤーへ驚きを与えるため、あるいは本作を正面から楽しんでもらうため、ジョエルの死に加えて、本編の約半分を占める“ある要素”を隠すように徹底した。それが本作における最大の仕掛けである「アビー編」の存在である。

 プレイヤーはゲームの中盤までエリーとして本作をプレイする。突如現れたアビーという謎の人物への復讐を遂げるため、僅かな手がかりを繋ぎながら、アビーが所属するWLF(ワシントン解放戦線)という集団を追いかけていく。そして3日間かけてようやくアビーの元へと辿り着いた瞬間、時間が巻き戻され、視点がアビー本人へと切り替わる。

 ここから「アビー編」が始まる。本作の冒頭で、長きに渡り愛されてきた主人公を殺害した人物は、果たしてどんな人物なのか? 何故ジョエルを殺したのか? さらに、エリーがシアトルにいた3日間、そして「前作のエンディングからの4年間」に何が起きたのか? その一つひとつを、プレイヤー自らの手で追体験することになるのだ。

 いや、「させられる」と言うべきだろう。プレイヤーはジョエルを惨殺されたことによる巨大な憎悪をモチベーションに、その主犯であるアビーを殺すためだけにこのゲームをプレイしていたはずなのだから。感染者も、セラファイトという謎の集団にも苦しめられたが、それらはあくまでこの復讐の旅を邪魔するモブキャラクターにしかすぎない。そしてアビーの元に辿り着くために、殺人現場にいた連中や大量のWLFの人々を殺してきたが、それも彼らが「本作の敵キャラクターである」と信じて疑わなかったからである。

 にも関わらず、本作は「アビーの立場になる」ことを強制する。戸惑わないプレイヤーの方が少ないだろうし、本作が真に賛否両論を招く点はここにある。アビーに対する憎悪がピークに達したタイミングで、プレイヤーはアビーと正面から向き合わなくてはならない。つまり、エリーとジョエルに対する思い入れが深ければ深いほど、アビー編が与える不快感は強くなるのだ。そして、すぐにプレイヤーは不愉快な事実に気付く。これまで大量に殺害してきたWLFの連中が、今度は自分の味方になること、そして彼らが自分の周りで次々と殺されていくことを。

 しかし、これこそがNaughty Dogが「Part 2」を作る必要があった一つの理由である。前作のエンディングでジョエルが取った行動の“被害者側の視点”を描くことーーつまり、最も憎悪を向ける相手に対してプレイヤーに感情移入させなければ、前作を本当の意味で終わらせることはできなかったのだ。

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