概要

あしたのその次を思い描く「明後日新聞文化事業部」は、「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2003」において、アーティスト日比野克彦を社主とし、新潟県東頸城郡松代町莇平(現在の十日町市莇平)の廃校を本社に発足しました。約20戸の集落の住民たちと朝顔を育てたことから始まった明後日新聞社文化事業部は、トリエンナーレ期間外であっても月一回の新聞発行、号外発行、集落の行事参加やワークショップを開催する他、オープン以来、集落の方々とともに朝顔の育成が続けられてきました。莇平で生まれた種をきっかけに、社主・日比野の各地での活動に呼応するように朝顔の種は全国に運ばれて行き、人と人が繋がり、大きなネットワークとなっている。
2012年、明後日新聞社文化事業部設立10周年。


 

なぜ新聞社だったのか?
「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2003」への出品が決まった頃、それまで100を超えるワークショップを精力的に行ってきた日比野は「何かワークショップをやってもらえないだろうか?」という話を受け、漠然と新聞社を作ろうと考えていました。
なぜ新聞社なのかというと、日比野の実家が昔、新聞販売店をやっていた影響が大きく、朝早くから夜遅くまで年齢も環境も違うたくさんの人たちが一つの空間に集まる新聞販売店の地域に根差した活動や空間には、ワークショップに通じるものがあったのです。
その頃、ワークショップという言葉がとても便利に使われていることもあって、ワークショップを頻繁に行ってきたアーティストとしては、アートの流れのなかでワークショップが何であるのかを考えなくてはいけない時期でもありました。

作品を展示するだけでなく、地元の人と関わっていきたい。そんな思いだけ抱えて迎えた2003年5月25日。初顔合わせの日。「ワークショップ」という言葉だけでなく「アート」という言葉にすら触れることの少ない集落の人々は「野良仕事しか出来んすけ・・」と困惑気味。会話が途切れかけた時、日比野はふと学校の花壇に花が咲いていたのを思い出し、そのことを話題にしてみた。するとあるお母さんから「東京からお客さんがござるすけ植えといたんだ」との言葉。それを聞いた日比野、集落の人たちが花を育てることで気持ちを伝えようとしてくれたのだと思いあたり、とっさに「一緒に植物を育てますか?」と言っていたのです。そこからは会話が弾み、それぞれの胸に、校舎の屋根まで朝顔のツルが伸びた景色が浮かんだ時、プロジェクトは動き始めたのです。

 
写真は2003年5月25日莇平集落の方々との初顔合わせの様子